医療議連に寄せられたご意見 |
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我々現場の医師、住民が草の根として出来ることは“連携”です(医師・匿名希望)新潟県の総合病院、整形外科医長です。昨年は中越沖地震の拠点病院となり大きく報道された病院です。被災時、私自身は派遣していただいたDMATと当院側との調整役的な仕事をして、その後政府宛にDMATへのお礼を書かせていただきました。 私は当院の整形外科を任され、医長になって1年半、外来を完全予約紹介制に移行して地域の診療所との連絡を密に取り、病院が病院機能に特化し、開業医、勤務医、同地域の整形外科医全員がひとつのチームであるかのように動ける形を目指して改革を進めてきました。医療圏同士、地域間の連携も積極的に進めています。2年前、柏崎地区は医師不足による医局の撤退候補でした。その地域を立て直すことで、今は逆に理想的地域医療のモデルケースにすべく試行錯誤しています。地理的にも人口分布的にも拠点ごとに中核病院は必要です。病院に殺到する受傷者の半数以上が整形外科外傷患者だった中越沖地震。災害拠点病院、救急告示病院である当院から整形外科が撤退したあとだったら被災者はどうなっていたか。地域医療を守ることは災害など非常時における、国としての重要な危機管理でもあるのです。 政治・行政の立場ではなく我々現場の医師、住民が草の根として出来ることは“連携”です。病院の医師としての私たちの試み、やってきたことは実際に功を奏したと胸を張って言えます。地震の当日、地域内外の整形外科医が中核病院である当院に自然に自らの意志で集結しました。非番で遠方にいた部下は被災した道路状況の中を、開業医は自分の医院の被災状況を二の次にして、近隣地域の医師も震源地を知ると同時に、当地に向かっていた。連携を取る、助け合う体制、下地があったからこその動きだったと思っています。 現場レベルで地域医療の危機打開・再建のために必要かつ有効なのは医師同士の連携だけではなく、院内コメディカルとの連携、住民との連携など可能性はたくさんあります。地域の小児科をサポートしようとする丹波地方の住民の動き、北海道の夕張地区の試みなども連携の成功例でしょう。 しかし医療を取り巻く社会状況、現場の目線で見ていて楽観視はしていません。頑張っている人たちはいます。医療者、政府、地域行政、医療に理解のある報道関係者、そして一般市民のいろんな努力を目にする機会は増えました。一見、多少光が見えたように思える。しかし恐らく錯覚です。医師の逃散、地方病院の診療科閉鎖、撤退は着実に進んでいて、そういう現状、現場がどんどん追い詰められているから、その中で残って頑張る人たちの姿が自然と目立ってしまう。希望が失われつつあるから、希望を見いだそうとする試みがクローズアップされる。そんな風に感じます。 まだ今は頑張ろうとする医療者が、住民が存在する。でも減りつつあるかもしれません。我々の心が折れてしまわないうちに、政治、行政も大きく動き始めてもらいたい。草の根の我々が広げようとしている連携の輪に、政治家も役人もマスコミも草の根の目線で加わってほしい。医学医療が実学である以上、真実は現場にある。現場で働く「歩」である我々に、「金銀」である行政、「飛車角」であるマスコミ、全てが機能的に同じ方向に向かって動くことではじめて、局地的な小さな改革が日本全体に広がるものになると思います。 私は勤務医です。勤務医として誇りを持ち続けられる環境が整えば、またはそうなりそうな希望が持てれば、多少忙しくとももう少し頑張ってみようと思っています。でも、何も変えられず希望も疲れてしまったら「やれるだけやったよ」と胸を張って立ち去るつもりです。 |
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